現在の不妊治療で最も重要で難しい課題は「卵子老化の克服」です。多くの生殖補助医療に関わる者、そして多くの研究者が「卵子老化の克服」を目指しています。私もそれを夢見る者の一人です。今回紹介する論文は、私が取り組んできた「卵子老化の克服」に関する基礎研究の報告です。
Impact of endoplasmic reticulum stress on oocyte aging mechanisms.
「小胞体ストレスが卵加齢メカニズムに与える影響」
Takehara I, Igarashi H, et al., Molecular Human Reproduction1 2020.
少し難しい話ですが、細胞内にある小胞体という小器官は細胞内のタンパク質管理を行い、不良タンパク質(折りたたみ不全タンパク質)が出来るとそれを取り込み処理します。この際、小胞体では不良タンパク質をより効率的に処理し、細胞の機能を保つ(恒常性維持機能)ための機能が備わっています。この機能を小胞体ストレス応答と呼びます。この小胞体ストレス応答は細胞の機能を保つ一方、その処理能力を超え他場合、一転して細胞を死に至らしめます。がん、アルツハイマー病、動脈硬化、糖尿病など様々な加齢関連疾患の発症に小胞体ストレスが関与していると報告されています。この小胞体ストレスを発見した京都大学の森和俊教授は、ここ数年来ノーベル賞候補に挙げられています。
私の研究は卵子の老化にも小胞体ストレスが関与し、小胞体ストレスを制御することで加齢卵子の質が改善し、体外受精成績が改善するかを検討したものです。研究にはマウス卵を用い、母体加齢卵と同様の性質を持つ排卵後加齢卵を加齢卵モデルとしました。
【加齢卵と小胞体ストレス誘導胚の体外受精成績】
加齢卵(Aged)では新鮮卵(Fresh)と比較して体外受精の成績は有意に悪化します。また代表的な小胞体ストレス誘導剤であるタプシガルギン(Tg)、ツニカマイシン(Tu)で処理した新鮮卵も加齢卵様に体外受精の成績が悪化します(2-cell:2細胞、4/8-cell:4/8細胞、Molura:桑実胚、Blastocyst:胚盤胞、h/H:ハッチング胚)。
【加齢卵の小胞体ストレス】
それでは、実際に卵子、受精卵には小胞体ストレスがあるのでしょうか?そして加齢卵では小胞体ストレスに強く暴露されているのでしょうか?小胞体ストレスの程度は卵細胞内のGRP78という蛋白で評価出来ます。
この結果から、小胞体ストレスの暴露は排卵直後の卵子(MII)で最も強く(おそらく、排卵時に受ける酸化ストレス、様々な炎症性物質の影響)、その後の胚発育に伴い減弱していきます。また、加齢卵では新鮮卵に比べ、2倍以上の小胞体ストレスを受けています。この結果は卵子加齢のメカニズムに小胞体ストレスが関与している可能性を示します。
【加齢卵への小胞体ストレス制御による胚発育改善効果】
加齢卵への過剰な小胞体ストレスを制御すれば胚発育が改善する可能性があります。小胞体ストレスには3つの経路があります。最も重要であると考えられる経路(PERK経路)を阻害する薬剤であるsalubrinalを用いて、加齢卵の胚発育が改善するか検討しました。排卵直後の卵子をsalubrinalで処理し、体外受精後の胚発育を評価しました。
Salubrinalにより加齢卵の胚発育は改善しました。また、発育した胚盤胞を観察すると明らかにSalubrinal処理により胚グレードは改善しました(細胞死であるアポトーシスが有意に減少)。
【妊娠・産仔への影響】
それでは実際にこの胚盤胞を移植すると妊娠率は改善するのでしょうか?また、生まれた仔(産仔)には影響しないのでしょうか?Salubrinalの効果と安全性を確認するために実際に胚移植をして検討しました。
A(加齢卵移植での産仔)、B(Salubrinal処理卵での産仔)ともに形態的には全く違いは認められません。産仔の出生時体重にも差は認められません。妊娠率はsalubrinal処理卵で改善していました。
【最後に】
今回の研究により卵子老化のメカニズムへの小胞体ストレスの関与が明らかとなりました。また、小胞体ストレス制御(Salubrinal)が胚発育・妊娠率を改善すること、そして少なくとも産仔までは影響は認められないことが分かりました。臨床への応用にはまだまだ克服しなくてはならない課題がありますが、小胞体ストレス制御作用のある培養液の開発は「卵子老化の克服」の一助となる可能性があります。基礎研究の成果から有望な知見を選び出し、それを実際の臨床(治療法、器機、医薬品の開発)に繋げるTranslational research(橋渡し研究)は医療の発展には欠かせません。
京野アートクリニック仙台 五十嵐 秀樹